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イチロー引退。。 [日常]

2019年3月24日(日) 自宅にて

3月21日、イチローが引退した。
仕事帰りの電車の中、iPadでMLB.tvでイチロー最後の打席を見ることになった。
いつかは来る、もう遠くはない、と思っていても、どこかで、永遠に続くんじゃないかと錯覚してしまっていた事が、気づいたら今来てしまったという感覚で、電車の中で泣きそうになった。

イチロー引退1.JPG

毎日、終電生活の中、たまたま夜9時過ぎに仕事を上がれて、電車の中で生中継が観れたのが救い。
帰宅後、夜遅くまでAbemaTVで記者会見を見ていた。なんか、人が亡くなった時と同じような寂しさに見舞われた。

イチロー引退2.JPG

シーズン最多安打を打った時、第2回WBCで不振にあえぎながら決勝戦で決勝打を打った時、現地で観てきた事が奇跡的にも思えるなか、なぜ、すぐそこの東京で行われて、引退試合になることも容易に想像できる状況でその場に居られなかったのか。。後悔。
正直、この一年、仕事が火を噴いた状態が継続していて、平日の東京の試合を観に行く予定は到底たてられなかった事と、心のどこかで、イチローは50歳まで現役を続けるという思いがあり、行かない判断をしてしまっていた。今から思えば、何が何でも行くと決めて、行っておけばよかったと思う。

人柄的にはイチローより松井派だったし、イチローが日本にいた頃は全く興味がなかった。オリックス時代、イチローとパンチ佐藤が揃って登録名を変えるというニュースは見た記憶があるが、パンチ佐藤の方が有名でイチローって誰?って感じだったし、オリックスで初めて200本安打を達成した時も、ヒットに対して打率じゃなくてヒット数を数える習慣がなかったので、あまり興味もなかった。体も小さい印象だったし、ぽっと出の地味な選手だろうと勝手に思い込んでいた。
でも、メジャーに言ってからの活躍は日本人として、まるで自分のことのように誇らしかったし、本当に楽しませてもらった。

私の黄金期のアメリカ赴任時代含め、いったい何試合イチローの試合を見たのだろう。いつかやろうと思っているブログ整理で集計してみる予定だが、30試合位は見てるのかな。。

最初に観たのは、シーズン最多安打を記録した試合だった。自分の人生的には、長く付き合った彼女と別れ、今まだ続く暗黒の時代に耐えていた時期だった。何も楽しみがない中、イチローの快進撃だけが楽しみだった気がする。シーズン終盤になり、最多安打の可能性が出てきたとき、会社で毎年1回とることを推奨されていた3連休を使って観に行く事を思いつく。もちろんいつ達成するか分からないので、セーフコフィールド(今のT-Mobile Park)でのシーズン最終3連戦を観に行くことに。新記録達成が観れなくても、シーズン最後のヒットは観れるだろうとの算段。チケットを手配してからは、イチローのヒットペースが上がっても心配、下がっても心配という日々を送ったことを思い出す。結局、タイ記録まであと1本という絶好の状況で、現地観戦を迎えることになり、現地到着直後の最初の試合であっさり、タイ記録、新記録を観ることができた。

イチロー引退3.JPG
※記録達成の翌日、シアトルのニューススタンドで買った新聞、あとチケットを入れて額縁に入れてみた。ここにイチローのサイン欲しい。

その後、2006年に思ってもいなかったアメリカ赴任が決まり、更にイチローとの縁が深くなる。この時期は個人的には暗黒時代が続いており、多分、うつ病に近い状態だったと思う。アメリカ赴任でこのうつ状態から脱することになる。今人生を終えるとしたら、私の黄金期はこのアメリカ赴任中の6年半の期間だろう。新しい経験の連続で、自分も成長しているのが分かり、一人で寂しかったことを差し引いても、最高の期間だった。

2007年の9月のある週末、ゴルフからのメジャー観戦という、今となっては夢のような1日を過ごす予定だった日、僕の父親が亡くなった。ゴルフを終え、1回表のイチローの打席に間に合うだろうかと、コメリカパークに向け車を飛ばしているとき、母親から訃報が入った。病状はかなり悪かったので、覚悟はできていたが、ショックは大きかった。父親が亡くなるという大きな出来事の時もイチローが絡んでいた。野球観戦をしても、しなくても、日本に向かえるのは次の日なので関係ないのだが、何か不謹慎な気がして、Uターンして家に戻った。今思えば、試合見ておいてもよかったかな。

でもって、2009年のWBC。アメリカではGWもお盆もないため、年に1、2回長期連休をとることが暗黙のルールとなっていた。2009年は3月のWBCを見に行こうと早くからチケットを確保していた。サンディエゴの予選から、LAでの決勝までフルでチケットを購入。この時のことは、当時、このブログでも書いたので詳細はそちら参照としておく。
イチローは不振で、スタメン落ちするのではないかという状況のなか、ご存知の通り、決勝で素晴らしい仕事をしてくれた。普段、人前で感情を表現しない私が、これまで最も素直に感情を表現してしまった瞬間であることは間違いない。周りの韓国人の応援がうるさかったのと、隣で一緒に応援していたシアトルから来ていたアメリカ人が居たこともあり、我を忘れて、隣のアメリカ人と喜び合ってしまった。

ニューヨークに移籍してからも、何試合も観ていると思う。NYの観戦で、後ろに座っているアメリカ人が、イチローはまだまだいい選手だ、と会話していたのを覚えている。

2012年、赴任から日本にもどることになる。
2015年、イチローがマーリンズに移籍したのは、僕が赴任から戻った後の為、マーリンズのユニフォームを着たイチローを観に行くことはできなかった。

僕個人として、日本に戻って暫くはアメリカ生活の高揚感が残っていたせいか前向きに過ごしていたが、今はすっかり日本の抑圧された生活環境に押しつぶされそうになっている毎日だ。
そんな中、イチローの引退は、過ぎた日々が終わってしまったことをつくづく感じさせる出来事だった。

とにかく、「イチロー。ありがとう。」


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